のんうつ講座
現状のまとめ・・・15/05/16
家族も含めて人と接しているときは気が紛れてそれなりに頑張ってるんやけど、ひとりで居るときの私は、もうアカン
基本的に「生きてるだけでしんどい」
「死」について考えない日はないし、口から出る言葉は「しんどい」「おもろない」なんかで・・・
糖尿病やのに夜中に菓子を食べるのが止められない・・・
ネットショップでの無駄遣いも止められない・・・
薬を飲んでも2〜3時間、薬を飲まないと1時間以上続けて眠れない・・・
頭痛は週に1〜2回のペースで起こる
日中も数回は横になって少しでも眠らないとやってられない・・・
友人と温泉や夕食を一緒すると翌日はしんどさが強くなる・・・
「脳が愉しまない」というのはホントにキツイ
これまで色んなことを試してきたけど、夢中になって愉しめるようなことは無かった
それでも突き詰めて考えたら声を上げて泣いてしまうことはもう分かってるから、兎に角気を紛らすようにして生きてる
誰かに助けを求めても解決しないことも分かってるし、うつが治らない限り現状から抜け出せないことも分かってるから、このまま誤魔化しながら生きていくしかない
有名な精神科医にネットで相談したら、難治性うつ病と言うことで「電気けいれん療法」を勧められた
薬や生活環境では治らないと言うこと
ただ、2週間ほど入院して、1週で3回ぐらい全身麻酔・筋弛緩剤をして脳に電気を通す
それを何度も繰り返して、治るかも知れないし、治らないかも知れない
治っても再発するケースが多いと言うこと
それだけのリスクを負って、受ける気にはなれない
この前ある友達に「生きてるだけでしんどい」って言ったら、「生きてることに感謝」という意味で「生きてるからしんどいんやで」と言われた
それを聞いて俺の頭に浮かんだのは「やっぱり死ななアカンのか」やった
何とか前を向いて生きていこうとは思うけど、毎日々々がホントに辛い
Dr.○○のこころと脳の相談室・・・15/02/12
難治性のうつ病だと思われます。電気けいれん療法を受けるべきです。電気けいれん療法によって、これまでの苦しみが嘘であったかのように改善することも期待できます。ぜひ電気けいれん療法を行っている病院を受診してください。
うつ病という診断の強い根拠の一つは、このメール全体に流れている自責感です。
加えて、経過の中に見られる個々の内容も、うつ病に一致しています。振り返ってみましょう:
38歳の時、初めて学級担任を外れ、「することがない」状態になりました。
それまでは、仕事が趣味のような感じで、兎に角仕事が楽しく、夜遅くまで学校で仕事していたり、家に仕事を持ち帰ったりしても、苦痛は感じませんでした。
初めのうちは体調不良だと思い、様々な医療機関を受診しましたが、どこに行っても「異常なし」の診断を受けました。
このような発症は、うつ病として典型的です。すなわち、過大とはいえないストレスをきっかけに、漠然とした不調が現れるというパターンです。【2896】はじめは適応障害、後にうつ病と診断されましたが、本当は甘えではないでしょうかの発症とも共通するところ大と言えます。
もちろんこの【2898】の方のように、「仕事が趣味のような感じ」というタイプの人にとっては、「することがない」状態 は、それなりのストレスであったことは想像に難くありません。けれどもだからといってこのメールに書かれているような全経過の「原因」として納得できるレベルのストレスとは言えません。「原因」ではなく「誘因」と言うべきものです。(うつ病の聖杯 42 参照)
また、最初の症状については「体調不良」としか記されていませんので具体的内容が不明ですが、
初めのうちは体調不良だと思い、様々な医療機関を受診しましたが、どこに行っても「異常なし」の診断を受けました。
という記載からは、何らかの身体症状であったと推認できます。【2896】はじめは適応障害、後にうつ病と診断されましたが、本当は甘えではないでしょうかの回答に、うつ病は
原因のはっきりしない身体症状から始まることもよくあります。
とお書きした通りです。
そのうち、朝出勤できなくなり、友人の勧めで精神科を受診しました。
そこで初めて「うつ病」と診断されました。
投薬治療を受けましたが改善せず、主治医の勧めで3ヶ月の休暇をとりました。
投薬の内容が不明ですので、適切であったかどうかは判断できません。
但し、
元々体育会系の人間で、体調が良くなれば「もう大丈夫」と薬を勝手に止めたりしました。
このように、少しよくなると薬を勝手にやめることで、うつ病が長引くのはよくあることです。残念ながらこの【2896】のケースはその典型例と言わざるを得ません。
3ヶ月後に復職し、大きく調子を崩すことは無く、何とかその年度を乗り切りました。
その年度で、転勤しました。
その後は、家の近くの神経内科を受診しながら、何とか仕事には行っていました。
神経内科には行ったり行かなかったりで、薬も飲んだり飲まなかったりでした。
どんな薬を飲んでいたかは、覚えていません。
欠勤は多くありましたが、長期休暇をとることなく、7年ほど過ぎました。
神経内科には行ったり行かなかったりで、薬も飲んだり飲まなかったりでした。
といった中途半端な治療のため、
欠勤は多くありました
という事態になったと言えます。
このような経過が続けば、どこかで大きく悪化するのが普通です。まさにそのような事態が次に発生しています:
48歳の歳、調子が大きく崩れて神経内科から少し遠い所の心療内科に転医しまし、1ヶ月の休暇をとりました。
次の年は、1ヶ月の休暇を2回、その次の年は6ヶ月の休暇。
その年度で転勤しました。
この時点で、うつ病を発症してからすでに10年が経過しています。その期間、中途半端な治療が続いていたことが悔やまれるところです。
調子が非常に悪い状態での転勤。
新学期が始まって最初の月曜日に出勤できず、「またズルズル休むことになるのはいけない・しっかり休んでキチンと治そう」と思い、3年間の休職を決めました。
この記載はよくわかりません。なぜいきなり3年という長期間の休養に入られたのか。
それはともかく、後の経過を見てみましょう。
休職中は、調子が良くなると軽登山に出かけたり、スポーツジム通いをしたりしていました。
おそらく適切であったと思われますが、「調子が良くなると」とはどの程度の調子であったかは気になるところです。うつ病で休養中に、このように積極的な行動に出る場合は、自覚症状だけでなく、主治医の先生からの指示に従うことが重要です。つい本人や周囲の人は、少しよくなっただけでさらなる改善を目指して行動し、結果として再燃を繰り返すことが多いものです。
復帰が3ヶ月に迫った頃には、教育委員会主催の「職場復帰訓練」にも通いました。
主治医と相談して、様々な抗うつ剤も試しました。
このあたり、よく理解できません。登山などが出来る段階は、うつ病がかなり良くなっていることが条件ですので、そういう段階になってからなお様々な抗うつ薬を試すというのは不可解です。もっとも、これは単なる文章の書き方の問題で、様々な抗うつ薬を試したのは登山などをするようになる前だったということかもしれませんが。
大学病院など、3つの病院の精神科にセカンドオピニオンなどにも行きました。
どこの病院も「今の診療所で治療を続けることを勧めます」という感じでした。
それでも、あまり改善したようにならないまま、職場復帰しました。
これもよく理解できません。よくなっているのになぜセカンドオピニオンを求めたのか。実は登山などをしたのは、それほどよくなっていない時期で、したがって、先にお書きしたように、「つい本人や周囲の人は、少しよくなっただけでさらなる改善を目指して行動し、結果として再燃を繰り返すことが多い」という典型例であったのではないかという疑問が残るところです。
あまり改善したようにならないまま、職場復帰しました。
という記載も、この疑問を裏付けます。
仕事には不満はなく、比較的楽な配置もしてもらい、新学期初めはそれ程でもなかったのですが、6月頃には調子が酷く悪くなってきました。
あまり改善したようにならないまま復帰すれば、当然の結果と言えます。
この後まもなく退職となったのは、経過からいえば、残念ながら予想された事態と言わざるを得ないでしょう。
それから4年余り経っていますが、うつは改善していません。
最初から数えると、もう20年ほどです。
「生きてるだけでしんどい」と思っています。
「死」についてはよく考えますが、「死にたい」と思ったことはありません。
ただ、「もういつ死んでもいい」とはずっと思ってきました。
精神的には、抗うつ剤が効いているのか、抑うつ気分はさほどありません。
ただ、ネガティブな思い浮かびは多く、マイナス思考も強いです。
身体的な症状は、「しんどい」というしかありません。
そして、週1〜2回の頭痛、睡眠障害です。
頭痛は起こっても、レルパックスかロキソニンを飲むと数時間で大体治まります。
睡眠障害は、寝付きは悪くないのですが、長くて1時間ほどで目覚めてしまいます。
睡眠前にレスリン50mgを飲んでいて、就寝後の数時間は数回起き上がって菓子を食べてしまいますが、後半の3〜4時間は目覚めずに眠れています。
うつ病が改善しているとは到底いえない状況です。
現在薬は、一日にパキシル50mg、ジェイゾロフト100mg、レスリン50mgを飲んでいます。
量だけをみれば、充分な抗うつ薬による治療を受けていると言えます。但し、ここまでの処方経過が不明ですので、このケースに対して適切といえるかどうかの判断は困難です。
本当に私は「うつ病(だった)なのか?」とも、よく思います。
ただの「怠け者じゃぁないのか?」などとも思います。
うつ病に間違いないと思います。甘えや怠けではありません。
最後に質問です。
私はこのまま生きていくしかないのでしょうか?
電気けいれん療法を受けるべきです。
もっとも、先にお書きしたように、はたして今の処方が適切であるのか、また、これまでの処方が適切であったかは判断できません。現在の処方は抗うつ薬のみであり、その量は充分といえますが、効果は明らかに不十分ですから、三環系抗うつ薬に切り替える(たとえばアナフラニール)・非定型抗精神病薬を追加する(たとえばエビリファイ)・気分安定薬を追加する(たとえばデパケン)などの治療戦略も考える必要があります。
けれども、これだけ長い経過で薬物療法を続けてきた以上、上記のような薬も試みた可能性は高いですし、そもそも薬物療法への期待感は薄れていると考えられますので、別の治療法に切り替えることが適切でしょう。
電気けいれん療法によって、これまでの苦しみが嘘であったかのように改善することも期待できます。ぜひ電気けいれん療法を行っている病院を受診してください。
私の場合「病気か障害か」・・・14/06/24
私の場合のうつ病は、病気なのか障害なのか?
ネットで調べると、一般的には「病気(疾患)」は完治するもので、「障害」は完治しないものと分類されているようだ。
これまで私は「必ず治る」を信じて、治すために服薬したり、生活の仕方を工夫したりしてきた。
その結果、現時点では治っていないし、症状的に少しは楽にっている部分もあるが、大きく変わらない。
「障害」と受け止めて、治らないことを前提に考え直してみたらどうかと、思った。
心身の倦怠感、意欲の欠如、睡眠障害、頭痛等々、「こんな身体なんだ」と諦めてみるのも一つの方法かも知れない。
なかなか考えにくいが、「治らない」という基本姿勢に立ってみれば、何か変わるかも知れない。
ただ、「治らない」を前提にしながら「治そう」としていることは否めない。
これまでの経験から「治らない」と言い聞かせることも思い込むことも簡単なことでは無いと思う。
主治医が「治りません」と言ってくれたら気分的に楽になれるかも知れないが、反対に悲観的になって落ち込むかも知れない。
実際、診断書に「予後不明」と書かれていたのを見て、絶望感が湧いたようなこともある。
「もう治らない」・・・だから、現状の範疇で何とか少しでも愉しく過ごす方法を考える。
・・・散々やってきたことか・・・
少々不謹慎だが、ハッキリ言って、もう仕事はしなくてもやっていける。
好きなように生きればいい・・・それができない病・障害なのだ。
アカン・・・将来「治っても治らなくても」現状は変わらない。
こうして、毎日辛くてつまらない日々を重ねていくしかないのだろう。
ダメだ、こりゃ・・・
「病に負けない」という強い意志・・・10/11/19
することがなくなって「何をしよう」というのが更に進むと、今度は「何を考えよう」という感じになる。
基本的には「宝くじが当たったときのこと」を考えるようにしているが、そこに思い至らないときがありあれこれ思いを巡らす。
そんな時も、先のことは考えないように気をつけている。
先のことを考えると、決して楽観的にはならず深く暗い方へ進んでしまうからだ。
長年うつうつを患っていると、うつうつ脳の思考パターンは見えてくる。
これほど冷静に自身のうつ病を客観的に捉えることができるのは珍しいだろう。
ある時期から、ネガティブ思考に支配されそうになると「うつうつに思わされている」と自分に言い聞かせて追い払ってきた。
何度も繰り返すが、精神心疾患はそれを「どれだけ自覚できるかどうか」が重要なポイントだと思う。
逆に言えば、それが「自覚できている内は大丈夫」と言うことになるのだろう。
そこへ思い至った経緯の中では、常に「病には負けない」という強い思いがあった。
正直言って「死にたい」と思ったことも何度もあった。
だが、決して口には出さなかった。
一度口に出してしまうとその思いは広がり、虜になってしまう。
別な意味で、「死にたい」というのは自分のこと思っていてくれる人たちに失礼だという気持ちが以前からあった。
これだけ冷静に客観的に考えることができるのに、脳の障害は改善の傾向を見せない。
ただ単に「世捨て人」になっているだけかも知れないと思うことはあるが・・・やっぱり、人並みに仕事をして収入を得、好きなことをいっぱい愉しみたいという思いは失せていない。
うつ病による病死・・・10/11/19
うつ病の場合、「自殺」ではなく「病死」と捉える必要があるのではないだろうか?
うつ病が発症する以前に「死んでもいい」とか「死にたい」とか考えることはないだろう。
それ以前には様々な困難を乗り越えて生きてきているはずだ。
もしかしたらうつ病に至った原因よりも厳しい現実を乗り越えてきているかも知れない。
それなのに、何故うつ病になると自殺してしまうのか?
うつ病で死に至った人がどんな薬を飲んでいたのか、どんな飲み方をしていたのか、きちんと調査する必要もある。
抗うつ剤の副作用に「自殺リスクを高める」というのがあり、特に年少者でその割合が高いらしい。
年間3万人を超える自殺者の内、そのほとんどがうつ病によるものだと考えられる。
現時点での抗うつ剤の多くは、「セロトニン仮説」によるものだ。
あくまでも「仮説」の段階なのだ。
抗うつ剤によって寛解する者と、そうでない者がいる。
比較的早い段階での投薬で、寛解するケースが多いらしい。
そんな事から「うつ病は心の風邪」などというコピーが出てきたのだろう。
抗うつ剤で効果が出るうつ病とそうでないうつ病では、全く違ったものではないかという気もしてくる。
いや、うつ病であることを「自覚」せず、頑張り続けて自責の念を高めることによって悪化するのか?
うつ病の者は「生きているだけで、必死に頑張っている」、「頑張り続けないと、生きていけない」のだ。
そして病をドンドン悪化させている。
最悪の悪循環に陥っている。
うまく考えがまとまらないが、「うつ病による自殺」を「うつ病による病死」と言い換えて考える方が良いかも知れない。
自殺の原因・・・10/11/17
また、有名人の自殺が報じられた。
4歳の子どもを遺して、お母さんが逝った。
ワイドショーでも取り上げられ、新聞の見出しには「知人に「死にたい…」介護疲れママ友もなく…」とあり、夫は「産後、その一途な性格で子育て、母の介護など、日々完璧にこなそうと取り組んだ結果、しだいに体調を壊すこととなりました。最愛の母を亡くし、深い悲しみにも襲われパニック障害、不眠症、うつ状態を引き起こし、この3年はいろいろな病院にもかかりましたが、結局、心通じ合う医師とはめぐり合うことができませんでした」とコメントしている。
原因はこんな事ではない。
原因は「うつ病」なのだ。
「うつ病」でなければ、子どもを遺して母親が死なぬなんて考えることはない。
「うつ病」でなければ、親近者の死は乗り越えられる。
世間はまだまだ「うつ病」に対する認識が甘い。
「うつ状態」などと軽く受け止めいてはいけない。
「うつ状態」は誰にでもあり、正常な脳ならば確実に乗り越えられる。
最も大切なことは、本人が「うつ病」であることをしっかり自覚し、自分の考えていることが本来の自分の脳が考えていることとかけ離れていると言うことを、周囲の人間がサポートすることなんだ。
「心」の問題ではなく、「脳」の問題なのだ。
例えば、覚醒剤などを使用して犯罪を起こした者の場合、公然と裁判で「正常な精神(脳)状態でなかった」などと罪が軽減されることがある。
覚醒剤で脳が正常でなくなるのも、うつ病で脳が正常でなくなるのも、同じ事なのだ。
「精神異常」と取り上げることが憚れるのかも知れないが、「心」や「性格」の問題であるかのような取り上げ方をすると、その「人格」までも否定しかねない。
「大変な苦労に負けた、弱い人」となってしまうのだ。
最愛であるはずの幼い子どものことなど思い浮かばなくなるのが「うつ病の脳」なのだ。
「うつ病もどき」が多く存在し、世間はまだまだ「うつ病=怠け者」というイメージが拭いきれないのだろうが、マスコミなどは「死に至る病」であることをもっともっと世間にアピールすべきだと思う。
世間の理解と、周囲のサポートで、うつ病による自殺は確実に減らすことができる。
究極の「休養」・・・10/11/07
最近時折思うことだが、どうして3年間の休暇で今のような考え方や過ごし方ができなかったのだろうか?
意識の中に「仕事に戻る」というのがあるとないとではこんなにも違うのだろうか?
少々後悔の念が起こってきている。
そんな風に考えると、「うつ病は十分な服薬と休養で治る」というのが、真実であるような気もしてくる。
「休養」しているつもりであってもできていないというケースが多いのだと思える。
私のように恵まれた環境にあればそれができたのに、どうしても「病と闘ってしまう」のだろう。
「 何かしようという気になるなで、何もしない」でおける環境などそう易々とセッティングできるものではないが、うつ病治療には不可欠なのかも知れない。
そして、それをうつうつの脳で考えることができないというのもあるのだろう。
うつ病治療には可能な限り長期の休暇をとって、本当の意味での「休養」をすることが大切かも知れない。
ポイントは「休養の仕方」にあるのだ。
今、私にはそれが検証できる。
あまり深く考えるつもりはないが、「何かしようという気になるなで、何もしない」を実践していこうと思う。
うつ病は「心の風邪」?・・・10/11/02
「うつ病は心の風邪」などと言われ世間に広まっているようだが、うつ病は心の病ではなく、脳の病だ。
心の問題なら、私には直ぐにでも克服する自信はある。
私は心が弱いのではなく、脳に脆弱性があるのだ。
自分の意志ではどうにもならない脳の機能障害だと私は思っている。
「うつ気分は心の風邪」と言い換えて、初期段階できちんと治療なりの対処をすればさほど長引かず治癒できるが、それをせずにこじらせてしまうと大きな病に結びつくと広報する方が良い。
これは、うつうつの者への偏見にもつながる大きな間違いを招くものだ。
うつ病は「十人十色」・・・10/10/31
働き盛り、40代を挟んだ10数年間、人生のうちで一番充実する時期を、病に台無しにされた。
天職とも思っていた好きな仕事が思うようにできなく、辛くて悔しい思いの連続だった。
子どものように泣き叫んで、何もかも投げ出してしまいたくなることが時々ある。
取り乱して声を上げて泣いている自分が、時折思い浮かぶ。
例えこの先病が癒えたとしても、老いとの闘いの中で、どれだけ愉しい人生を歩むことができるのか?
「労働の義務」を放棄し、何ら社会貢献ができなくなった者の想いは、どれほどのものか・・・
仕事を辞めて、今日でひと月が終わる。
表面上は、確かにホッと一息という感じで過ごしているが、好きな仕事を思いっ切りできないという悔しさに変わりはない。
辛い過去を振り返ることなく、前を向いて生きていこうとは思っているが、悔やんでも悔やんで悔やみきれない。
「うつ病」という病を理解することは、その本人でさえなかなか難しいことだが、増してうつうつでない人に理解することなど到底無理な話だ。
幸か不幸か、私の場合、食欲だけはほとんど普通の状態で、「美味しい」という唯一の快は、メタボだとか中性脂肪だとかいう事で、十分に愉しみきれない。
友人・知人などからの善意の言葉も、自分の中では苛立ちの原因となってしまうことが多い。
「俺も夜中によく目が覚めるで・・・」
「夜中に食べるのはなぁ・・・」
「運動せんといかんで・・・」
「愉しいことを見つけて、ゆっくりやってください」
「好きなことをドンドンやってください」
等々・・・
「自死」について話すと、「そんな大げさなぁ」と口には出さないが、そういう雰囲気の漂いを感じる。
うつうつの者は、癌で余命を宣告された人と大差のない絶望感を抱えていると言っても過言ではない。
「楽しめない脳」を持つことは、どれほど理不尽なことか・・・
自慢だが・・・私だからそんな事もそれなりに聞き流すことができている。
うつうつの者にとって、そんな言葉は厳禁だ。
かと言って、腫れ物に触るような扱いも、辛い。
ホントに勝手な言い分だと我ながら思うが、それが「うつ病」なのだ。
私の場合は、これまで通り接して頂くことがありがたい。
私に限っての話だ。
全てのうつうつの方がそうだとは言えないのだ。
自死について・・・10/10/05
あまり深く受け止めないで読んでいただきたい。
うつうつに自死はつきもので、抗うつ剤の副作用としても自死が取り上げられている。
このことは口に出すのが憚られ、タブーだと思っていた。
しかし、私自身この病を患ってからしばらくして「もういつ死んでもいい」という思いを持つようになった。
そして、いつ自分が衝動的な行動に出るかも知れないと意識して気をつけてきた。
今回退職に当たって、やっと自分に「お疲れさん」という気持ちが持て、多くの友人や知人から労いの言葉や身に余る評価をもらった。
定年まではいけなかったが、教職30年は十分に頑張り続け、精一杯やり遂げることができたと思えた。
「もうこれで人生を終えてもいい」というような気分に自分がならないか心配する気持ちが浮かんだ。
今、以前にも増して自死への警戒を強めなければいけないと思っている。
うつうつで自死に至った人の多くは、このことが口に出せなかったのだろうと思う。
「死にたい」と言える人はまだ周りが気をつけてくれる。
ここで、敢えて言っておこうと思う。
うつ病は死に至る可能性がある病で、私の場合も例外ではない。
同じ病を抱えて、少しでも自死が頭に浮かんだことのある読者の方、近しい方に言っておくに越したことはない。
決して自死に至ってはいけないが、自分の中で封印してしまっていては、いつ顔を出すか分からない。