2018 / 04 / 10 (火) | |||||
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夜中 | 朝 | 昼 | 夕 | 夜 | |
調子 | B | C | C | C | C |
薬 |
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日課 | ブログ・読書等 ・洗髪・髭そり・運動等 | ||||
外出 | 午前・午後・夜 |
5:00
裁判をテーマにした連続ドラマを観ていて、「真実」という言葉について考えた。
元々、裁判による判決が真実であるとは思っていない。
真実というのは、当事者以外は知る由もない。
「これが真実です」と語った言葉が、必ずしも真実ではない。
人間は嘘をつくことができる。
それに、思い違いや記憶違いもする。
更に、自分を騙すこともできる。
事実と現実があるだけだ。
表に出てきた事、それが全てなのだ。
「真実が明らかになった」などという表現を使うべきではない、と思った。
「真実」という言葉に、惑わされてはいけない。
自分の思いを言葉として発した事こそが全て。
相手の気持ちを慮っていても、言葉にしなければ意味がない。
「言わなくても分かるだろう」などと思い上がってはいけない。
今の私の暮らしぶりでは、多くの人の事を考えている。
けれど、その思いは相手に伝わることはない。
どれだけ思いを募らせても届くことはない。
特定の人への思いが、真実が、表に出ることはない。
人間関係の多くは、片思いなのだ。
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